メタバースについての記事を
書いていた最中でした。
ショックなニュースが…。
安倍元首相が銃撃され心肺停止ー。
「41歳の男、逮捕」とのこと。
演説中にズドン−。
卑劣です。
どんな事情があったのか、
関心すら沸きません。
ダメなんだよ、絶対に。
無事を祈るほか、ありません。
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すべてメタバースでやればいい。
ここからメタバースの記事に飛ぶのは、
やや強引かもしれません。
もちろん、自問しました。
この「演説中の銃撃」の報を知り、
「すべてメタバースでやればいい」という
論理は突飛過ぎるのではないかと。
ただ、
メタバース凄いよ!
楽しいよ!みんな来なよ!
なんて、記事を書こうとしておきながら、
物騒なことが起これば、筆を置く…。
これは、違うなと。
”こういう時”だからこそ
書く意味があるのだろうと。
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すべてメタバースでやればいい。
演説も、
音楽ライブも、
「ピッチイベント」とかいう
カッコいい集まりだって。
本気で思っています。
筆者が軽いコミュ障という
こともあるでしょう。
それでも、本気で思っています。
”実際に会う”意味って
どこまで、あるのでしょう?
礼儀?
行動力の誇示?
交友の輪を拡げるため?
ちょっと、面倒です。
zoomでいいし、家でいい。
(※場所不問、同期的に集合できる点で
zoomもメタバースの一種と捉えてます)
電車に(時には飛行機に)揺られる時間、
会話にあてた方が、よっぽど有意義だし、
親交だって深まるでしょう。
実際に会ったところで、
合わない人とは、合いません。
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すべてメタバースでやればいい。
国籍も、
性別も、
肌の色も、
関係ない。
メタバースでは「なりたい自分」になれます。
キムタクに寄せたっていいし、
憧れていたスカートだって
履いていい(筆者にその願望はない)。
現実逃避?
銃で撃たれる現実なんて、
逃げて当たり前です。
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すべてメタバースでやればいい。
学校の授業だって、そう。
(筆者には小学2年生の息子がいます)
なぜ、
重い(ホント重い!)ランドセルを背負わせるの?
なぜ、
教科書を全部持って帰ってこさせるの?
なぜ、
勉強しに学校に行くのに、
家でやる勉強(宿題)があるの?
先生方は、100点の回答を
返してくれるでしょうか?
筆者の息子クンは、楽しそうに登校してますが、
嫌がる日がくれば、彼の意思に任せます。
無理に通うもんじゃないです。
「メタバース小学校」なら
登校不要、
ランドセル不要、
イジメだって、ありません。
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すべてメタバースでやればいい。
振り切った意見をかざしてきましたが、
残念ながら、記事を書いている時点で、
「すべてをメタバースでやる」ことはできません。
技術も、
デバイスも、
社会ニーズも、
圧倒的に不足しています。
今は一部のギーク(オタク層)が、
ワイガチャと楽しんでいるに過ぎません。
ただ、日本でもメタバース作りに
必死に励む起業家が出てきています。
社会、経済、交友…
現実のあらゆる活動が
すべてメタバース上で、
できる日が来たらー。
そこは、今よりは少しマシな、
「平和な世界」になると、
筆者は思っています。